2006/08/26 投稿者 : rs-admin
ブログカテゴリ : 修理・車検
29年前、普通運転免許証を取得して初めて自分で運転したクルマがルノー16TSでした。もちろん親父のクルマです。
私は、親父の影響で小学校の頃からクルマが好きで、親父のクルマに乗ってすれ違う車の名前を1台、1台「あっ・スバル360!」呼んでいました。
小さい頃はもっぱらスクーターで、親父の膝の上に乗りハンドルに手を突いておじいちゃんの家へ行くのが楽しみでした。確かフジのラビットと言うスクーターだったと記憶してます。
私がお世話になった車はトヨタのパブリカバン・ホンダN360・カローラスプリンター・ルノー10・ルノー16です。
なかでもN360は、当時欠陥車疑惑でニュースで大騒ぎになりました。
確か走行中に突然ハンドルを取られて事故を起こすと言う内容でしたが結局原因が解明できずに 白 となりました。
そのころわが家でも事件が起こりました。
親父が栃木県の大田原市から仕事で帰る途中、小を我慢できず側道の田んぼで用を済まそうとチャックを下ろしたその時でした、親父はまるで蟻地獄に吸い込まれるように消えてしまいました。
なんと!肥溜めに落ちたのです。
家に帰って来た親父はこの世の物ではありませんでした。N360が国を追われた瞬間でした。(下取りになったのかなあ~)
と、まあ~紆余曲折がありまして免許を取った時期にルノー16に乗っていた訳です。すみません「底抜け脱線ゲーム」になってしまいました。
高校3年で、すでに免許を取って学校に乗ってくる奴もいて、帰りがメチャクチャ楽しかった。先輩のクルマを借りてきたり、兄貴のクルマを借りてきたり、当時サニーを車高短(しゃこたんと呼んでいました)にしたり箱スカを車高短にしたりと改造していました。我が家の16(セーズ)は格好が悪いと、一度もお声が掛かりませんでした。
当時国産車はアメリカ路線で、クーペ・ハードトップの流行始めでフランスの5ドアハッチバックなんて、変わり者のクルマだったわけです。(今でもあまり変わらないか)
当時ルノーは、三井物産がインポーターでした。16はエンジンが逆置きで、今のFFでは考えられないレイアウトでした。シートはホテルのソファで乗り心地も良く、特にTSはOHVなのにエンジンのピックアップが良くてブンブン回るエンジンでした。「たのしい~ でも曲がらない~」
今、日本に何台くらい走っているのかな~